出会いが出会いを生むことは、生きていく上での一番宝物

更新日:10月9日

黒岩 篤さん

メンター三田会 会員 スマートニュース株式会社

Head of Corporate Administration



人生に影響を与えたベルリンの壁の崩壊

私は慶應の商学部に一浪して入りました。高校3年生までは本当に何もしない、無気力な、どちらかと言えば親を泣かせる学生でした。ですが高校3年生の冬にドイツのベルリンの壁の崩壊をテレビで知って、世の中がガラガラと音を立てて変わっていくみたいな「こんな現実があるんだ。そこに向き合っている同世代がいるんだ」という衝撃を受けました。そこから「まずは大学に行って、社会に向き合い、何か役に立つ人間にならなきゃいけないな」と心に決め、勉強に集中し、一浪して総合政策学部と商学部に合格しました。



「父の死」から始まった大学生活

実家は千葉でしたが、慶應の大学受験時ホテルに泊まっていました。受験終了後、実家に帰ってきたら叔母が車で駅まで迎えにきてくれていました。車の中で、叔母から「あなたのお父さんは亡くなったから」と言われたんです。商学部の受験中に急性心不全で亡くなっていて。私はその試験期間中も母と電話で話しているんですけど、母は一切父が死んだことに触れませんでした。五十歳で急性心不全で亡くなった父は、昔ながらの「24 時間戦えますか」(1989年に流行ったリゲインのCMソング)というサラリーマンでした。父の死が私の大学生活のスタートでした。総合政策学部に行くには下宿が必要で、流石に父が死んだ後に家を出るのはどうなのかと考え、商学部を選びました。大学の前半部分は結構空白な感じの 2 年間を過ごしていたって言うのが正直なところでした。



税理士事務所からスターバックスへ IPOプロジェクトを推進する

父がいなくなり母が落ち込み気味になり、妹も高校生だったので、自分がしっかりしなきゃとだんだん思うようになり、税理士とか会計士とか資格を取って頑張っていこうと考えました。大学後半から勉強を始め、新卒では税理士事務所に入ったんです。私は父が銀行マンで、所謂超大企業の中である意味「戦死」したような感じ方をしていて、大企業で働くことにものすごい抵抗感を抱いていました。そこで税理士にでもなろうかなと。いざ税理士の事務所で働き始めてみると、実は税理士の世界も古い伝統的な世界で。この世界で自分が一生かけてやっていくのか?と迷い始めました。


20世紀も終わる年になり、たまたま日経新聞にスターバックスコーヒージャパン(1995年設立)の募集広告を見つけました。元々コーヒー好きだったし、新しいタイプの業態を生み出している会社で働くってどんな感じなんだろうとすごく興味を持ちました。それで創業者のハワード・シュルツが書いた「スターバックス成功物語」を読んだりして、新しく生まれた組織で働くことが素敵に思えたんです。


スターバックスに入社をしたのは社会人4年目くらいの時でした。当時日本に120 店舗程度しかなかった時代でした。入社早々初日に「上場プロジェクトに入れ」と言われ、「お前は明日からこの会社の予算を作る仕組みを作れ」って指示され、本を三冊渡されて「全部読んで考えろ」っていうバクッとした宿題を出されて・・・。無我夢中で会社の予算管理の仕組みをゼロから立ち上げることをやりました。


スタバの当時のサイズ感っていうのは、会社ってこんなふうに動いてるんだね、っていうのがわかるくらいの手触り感の大きさだったんですよね。組織というものをすごくよく理解できました。また 父が大企業の中で戦死したと感じていたけれど、当時のスタバのように、皆がわくわく大変だけど楽しく仕事できることは幸せなことだと感じるようになっていました。


ただ、世の中そんな上手い話ばかりなわけはなくって、その後スタバの業績の低迷と共に暗黒時代が訪れた時期がありました。スリム化が叫ばれてリストラが進み、雰囲気が変わっていって。会社の楽しいところと、地獄みたいなところの両面を味わった4年間でした。



慶應ビジネススクールが人生の転機に 世界はこんなに広いんだ

転職を意識するようになったのですが、どこに転職するか、また転職の方法もわからない。悶々としていたら当時のスタバの上司からアドバイスをされました。「ビジネススクールに行ってみたらいいんじゃないか」と。自分の生き方を探してみたらいいと。


そこで慶應ビジネススクール(KBS)をとりあえず受けてみたら受かりました。ビジネスを勉強することもそうだし、自分の生き方をもう一回考え直す時間を作りました。32~33歳の頃です。KBSの経験は転機になりました。色々な会社から集まった、色々な世代の人と共に学ぶことで、世界はこんなに広いんだと実感する経験を積むことができました。



GABA時代 管理部門の責任者に

慶應ビジネススクールの大学院2年生の時に、たまたまスターバックスからGABAという英会話学校運営会社に行っていたメンバーが何人かいて、その人たちが管理部門が手薄なのでそこを「ちょっと手伝ってくれないか」と僕に声をかけてくれました。


それがきっかけとなり、ずるずる引き摺り込まれて「管理部門の面倒を見ろ」という話になり、大学院卒業後にGABAに正式に入社することになりました。GABAもスターバックス時代の最初の頃のような、皆がわくわく夢中になって仕事してるのがすごく印象的でした。目をキラキラさせながら、素敵な仲間と仕事をしたいという想いがありました。


最初の10ヶ月くらいは事業開発マネージャーとして子ども向け事業の立ち上げを担当した後、管理部門の担当になりました。経理や経営企画を担当した後、契約管理や財務も担うようになり、管理部門の責任者として執行役員になれと言われました。35歳の時でした。


管理部門をちゃんと作ってビジネスを支え、上場もさせてみたいなことを結構頑張ってやって、手触り感がある形で会社の全部を見れて、経営ってこういう風にやるんだみたいなことを学ばせてもらった。それがGABAの時代でした。



日本のユニコーンスタートアップ「スマートニュース」の管理を支える

その後、GABAでの子ども向け事業を手がけた縁で、キッザニアに入りました。そこで管理部門の立て直しの仕事だけでなく、運営・人事・システム関係と何でもやりました。その後DoCLASSEというアパレル通販の新興会社に入って、資金繰りに奔走するみたいなことを経験しました。そして、現在のスマートニュースに偶然の出会いで入りました。


スマートニュースはご存じのように IT企業で、異業種から入るって中々度胸あるって感じですが、IPOに取り組むからと入社しました。私が入った時、スマートニュースは、これまでのどの会社よりも小さい会社でした。こぢんまりとした組織でしたが、天才肌の人たちがたくさんいました。


スマートニュースというプロダクト自体は素晴らしかったんですけど、一方で管理部門となるとあんまりケアできていませんでした。ベンチャーって経理とか法務とか情報システム等の「守り系の部署」はどこの会社も後回しにされがちなところがあります。ところが、会社が大きくなっていくと、実はその守り系の部署がちゃんと守ってあげないと不利な契約を結んでしまったり、偽物の請求書を経理に回してくるといった不祥事が起きます。なので、バックオフィスをちゃんと作らない と、健全なビジネスができなくなるのです。スマートニュースに入ってやったことは、会社が大きくなっても誰もが働きやすい、ちゃんと仕事に向き合える環境を整えることでした。スマートニュースの最初の 3 年間はそういうことを一生懸命やりました。


私のnote「バックオフィスシステムの一考」で書いたことでもあるのですが、内部統制をちゃんと入れていかないと会社は健全に大きくなれません。なぜこんなことが必要なのか、会社が大きくなるということはどういうことなのか、そういう事について懇々と社内に説明していきました。そうすると「なるほどそういうことのためなのか」と理解が進み、管理体制がだんだんワークするようになっていきました。


私はこれまでのキャリアの中で「会社が成長した後に地獄を見る」ということも多く経験してきたのですが、なぜかスマートニュースはいつまでもキラキラし続けている不思議な会社です。企業価値で今、2000 億円を超えていると思うんですけど、そこまで成長する会社に立ち会えたというのは、自分の人生においてもすごくラッキーだった思います。今までスターバックスやGABAのキャリアで苦しみながら経験してきたことが、全部活かされて、色々自分の心血を注いで作り上げていったのが、今のスマートニュースなのかなと思っています。



メンター三田会への期待 

意外な縁があるのがメンター三田会のある意味すごく楽しいところですね。そこでの出会いを、僕もそうですけど、学生さん・起業志望者の方にも大事にしていただきたいなと思っています。


本当に出会いが出会いを生んでいくっていうことは、生きていく上で一番宝物のような気がするんですよね。私は、父の死の影響もあり、会社組織のような得体の知れないものを、実はあまり信じていないんですが、そこにいる一緒に働いた仲間はものすごく信頼しているし、かけがえのないものだなと、すごく思うんですよね。


メンター三田会っていうのはメンターなので、誰かが誰かをメンタリングするんですけど、その関係性っていうのはすごく貴重な機会だし、そういうのを大事にしていきたいですね。そういう場をメンター三田会が創出し続けてくれるっていうことを、僕はすごく期待しています。


「どうやってキャリアを作っていけばいいんだ」って私自身、30歳くらいの時に悩んだことがありました。「転職ってどうやってやればいいんだろう」と迷ったり、「会社っていうのはどうやって動いてんだろう」と分からなかった時代があったわけです。


メンター三田会を通じて、色々な話を聞くだけでもそうしたことを感じ取ることができ、学ぶことができ、私がかなり遠回りして学んだことをスッと学んでくれると、人生のショートカットじゃないけれど、より有意義な時間の使い方ができるんじゃないかと思います。メンター三田会で出会うメンターを使い倒してくれれば、すごくいいなと思います。私も使い倒されることを望んでいますよ。



インタビュー担当:KBC18期 中村賢汰、宮﨑悠生


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