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周囲の力を借りて得た、豊富な経験が今の自分を作る

更新日:2022年1月31日

高堰うらら

メンター三田会 事務局員


経歴

慶應義塾大学法学部政治学科卒業(2020年)

東京大学大学院工学研究科都市工学専攻修士(2022年)

Omotete株式会社代表取締役


大学までは課外活動を積極的に

小中学時代はアメリカにいました。学校にもあまり行かず、公園にいたり1人で何かするのが好きでしたね。これといった特技はありませんでしたが、人の話を聞くのが上手かったのか、スポーツチームのキャプテンや、クラスの委員長などによく選ばれていました。

小中学生時代は漠然と、脳科学者や発明家になりたかったです(笑)


高校から日本に戻ったんですが、日本語があまりわからなかったので、学業よりも課外活動に取り組みました。国連会議や地方創生を学びに、地方へ訪れたりしてました。


ちょうどそのころ、雑誌のセブンティーンにスカウトされて専属モデルになりました。将来的に何かをするとき、女性の気持ちを知ることや繋がることに役立ち、発信スキルも身につくと思い引き受けました。自分が発信したい中身って何だろう?と考え直すきっかけにもなり、より課外活動に熱心になりました。


いろんなことに挑戦する中で、やりたいことを複合すると街づくりや都市計画に繋がると気づいたんです。このころから都市計画に興味を持ち、大学や今の大学院でも興味を持って研究し続けています。


学生起業のきっかけとなった横田ゼミ

大学では、法学部政治学科に入りました。都市計画を学ぶなら、日本の法律や政治についても学ぶ必要があるなと思ったんです。結果的に政治とは関係ないことも大学時代はやってたんですけど(笑)


当初は半年くらい慶應にいて、海外にでも行こうと思ってたんですけど、結局4年間通いました。SFCの横田浩一先生の自主ゼミに参加したのがきっかけですね。横田ゼミでは地方のブランディングをやっていました。地方創生活動や、イノベーション活動の一環で地方によくフィールドワークに行っていたんです。元から興味のあった都市計画とリンクしていて、勉強になりました。後に一般社団法人anchorを一緒に立ち上げたメンバーともここで出会いました。

この横田ゼミで、千葉県君津市のビジコン企画の運営を手伝っていました。手伝っているとき、「直売所に卵とご飯があって、その場で卵かけご飯が作れるなんて面白いな」と思い、参加者としても関わりました。若い女性をターゲットに、卵かけご飯のフランチャイズ事業を提案したんです。なんとそれが評価されて、本格的に活動することになりました。そこでメンター三田会と出会いました。事業の相談などにのっていただきました。


TKG(卵かけご飯)の事業は2年生の途中で登記直前まで行ったんですがやめることになりました。共同経営者の友人の意向が変わり、1人でこの事業にすべてをかけられるか自分に問い直したとき、他のことに力を入れたいなと思ったんです。都市計画の分野でもっと活躍したいという思いや、後述するKBCの活動やメンター三田会の活動を日吉・三田に広げたいという思いのほうが強いなと感じました。またいつかやってみたいですね。


KBC(Keio Business Community)の運営でメンター三田会の手を借りる

大学生活の後半で力を入れたのは、KBC日吉部の立ち上げとビジネスコンテストの開催です。

KBCの起業支援の活動を見ていて、面白いなと思っていたんですが、SFC中心であることを知りました。ぜひ日吉にも広めたいと思い、代表の菰田くんと日吉部を立ち上げました。KBC日吉部の立ち上げメンバーとは今でも交流があり、刺激をもらっています。


その後、連合三田会大会とKBC共同でビジネスコンテストを開催しました。食べ物をテーマにし、社会人も学生も参加できるものです。大規模なビジコンで、3年生の時にはその運営に奔走していましたね。資金面や人脈などで、ここでもメンター三田会のお力を借りて成功することができました。


他にも、薬学部の友人の事業案に興味を持ち、KBCで行ったシリコンバレー研修で事業案を深めました。それが現在、副代表を務めているNPO法人Your Schoolです。長期入院している子どもに対する教育事業で、医療系の学生と病院や、似たような団体同士を繋げています。そのシリコンバレー研修の旅費や人脈でもメンター三田会にお世話になりました(笑)


5社ものインターンで視野を広げる

1年生からインターンをしていました。興味のあることにはなんでも手を出していましたね(笑)

高校生の時に知り合った、株式会社アクティブラーニングのもとで教育系インターンを始めました。

大学4年間では他に、AI系スタートアップの株式会社ABEJA、社会的インパクト投資の金融商品開発をしている一般社団法人C4、グラフィックデザインのGrand Design株式会社、設計デザイン事務所のGensler株式会社でインターンをしました。


ABEJAではエンジニア志望でしたが、働いていくうちにビジネスのほうが向いていることに気が付きました。コードが書けなくても、ビジネスに主体的に関わることができると気づいたのはその後のキャリアに繋がっているなぁ、と思います。

C4では社会的インパクト投資分野や自治体による起業支援等のプログラムのリサーチをしていました。Genslerは、インターンの枠がなかったのにメンター三田会の萬行さんが空けて下さって、建築デザインの仕事をしていました。


経営に関わりスタートアップの面白さに気づく

大学4年生の時にscheme verge株式会社で経営メンバーとして働き始めたのですが、ここでの経験が後のキャリアに大きな影響を与えました。


スマートシティ分野で新規事業開発・研究しており、ITS世界会議で研究成果の報告なども行いました。ここで「都市の与えられた条件は変わらないけど、移動がフレキシブルになることで都市の価値が変化する」という、モビリティについて興味を持ち、大学院で都市計画を学ぶことに繋がったと思います。

経営メンバーとして働いていたので、大手CVCとの資金調達の話し合いなども行っていました。それまでは支援側が多く、コンサル的な視点に立つことが多かったんですが、中心として働いたことでスタートアップの面白さに気づきましたね。


ビジネスだけでなく、興味のあった都市計画も学ぶ

高校時代から興味のあった都市計画は、授業でも学びました。理工学系の授業が多いので、1年生の時から法学部でありながら理工の授業を週2~3個とっていました。なかでも1年生の時に取った和泉洋人教授の授業が面白かったです。現内閣総理大臣補佐官で、最新の講義を受けることが出来ました。2年生以降は慶應で教えていなかったので、東大に潜って受けてました(笑)

授業を受け、和泉先生とお話しているうちに、大学院で都市計画を学ぶなら和泉先生の出身であり、教えていた東大の大学院に行こうと決めました。


大学でできた繋がりをもとに現在のOmoteteの起業へ

現在では、Omotete株式会社を創業し、先述のKBC日吉部を立ち上げたメンバーで経営しています。


「生理のときでも快適に」をテーマに、トイレの個室でナプキンの試着が可能なサービスunfre.を提供しています。unfree(不自由)にピリオドを、というコンセプトです。


デパートにディスペンサーがあるけど在庫が古かったり、そもそもあまりなかったりしていて遅れているなと感じたんです。私自身去年から生理に悩み始めて、事業をKBCメンバーに話したところ、反応が良く、起業するに至りました。今までもKBCメンバーで新規事業の話はしていたんですが、ピンとくるものはこれが初めてだったんです。


構想は2020年5月からで、会社は先月10月に設立したばかりです。いまは資金調達や試作品づくりを進めており、絶賛奔走しているところです。



普段見逃されている権利に注目し、実務と研究を両立したい

今後は、研究をしつつ事業を続けたいです。学部時代に思いましたが、身の回りの教授には研究をしつつ起業したりアドバイザーを行ったりなど、実務と学問の両立が出来ている方が多いんです。教授の姿を見たり、実際に起業してみてどちらかに偏るのは私には合わないと感じています。


行いたい事業は、ビジネスにこだわってはいません。学ぶにつれて、ビジネスではできないこともあると痛感しています。なので必要であればNPOやメンター三田会のような組織の運営になると思います。


またテーマは都市計画にもこだわっていません。都市計画の考えの根底には、「人のおかれた環境は必ずしも変えられない。その中で私たちが何をできるか」というものがあると思っています。なので、一般的に想像される都市計画というより、「普段見逃されている権利をどう主張できるか、どう救っていけるか」というテーマに関わりたいです。


スピードだけではなく質を重視し、また手段にはこだわらず社会問題の解決の力になりたいです。


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