森靖孝さんのテレパシー

 森さんと私を最初につなげてくれたのは、私の親戚で子供のころから「公平ちゃん」と可愛がってくれてきた金井純さんである。純さんはNY在住で、イッセイミヤケUSA代表などを務めたファッション界の重鎮(だと思う)で、森さんとは公私に渡り尊敬し合う間柄だった。面倒見のよい純さんは親戚の若者がNYを訪ねると大歓迎して家に泊めてくれた。それが河野太郎さんや私だった。そして純さんが、太郎さんや私を森さんにつないでくれた。


 森さんは機会があることに私に声をかけてくださった。「どーも、どーも」と森さんから電話をもらい、2006年10月15日に理工学部矢上キャンパスでメンター三田会勉強会を開催することになった。アントレプレナーシップどころか社会人経験がゼロの私が頼りない講師を務め、その場で初めて國領先生にお目にかかった。その後、慶應ビジネススクールとの交流にもご足労くださり、さらにはあろうことにメンター三田会の顧問にもお声がけいただき、以来、2010年4月1日のメンター三田会勉強会「日本の目指すべき道」by河野太郎議員@交詢社などに参加する機会を頂戴してきた。2017年に私の理工学部長就任が決まると真っ先に連絡をくださったのも森さんだった。メンター三田会としてのお祝いを交詢社で開催してくださった。ご子息の玲治さんらが記念品として選んでくださった万年筆「パーカー5」は海外出張中の飛行機といった気圧変化にも負けずに滑らかに書ける優れもので、今でも愛用している。


 このころからだろう。森さんは私と話すたびに「太郎さんが総理大臣、公平さんが塾長になれば、日本と慶應義塾の将来は大丈夫」とおっしゃるようになった。しかし、人生は山あり谷あり。私に消化器系のガンが発見され、理工学部長を辞任して療養を始めると、森さんにもガンが見つかり、私たちは歳の離れたガン患者仲間になってしまった。その時、森さんは私の病気を自分のことのように傷んでくださり、私の治療が終了して無罪放免されたときには、「本当によかった。公平さんと私のどちらかが治るのであれば間違いなく公平さん。慶應義塾の将来を背負うんだから。」と喜んでくださった。


 そして今年の3月7日、「森さんの余命が3ヶ月」との連絡を純さんから受け取った。私はすぐにパーカー5を手に取り、森さんにこれまでのお礼を記した。そして、自分が塾長になるとは思ってもいないのに、森さんを勇気づけようと「慶應義塾をお任せください」と書いた。相当に無責任である。しかし、それを森さんがまともに受け止めたのであろう。最後の力を振り絞ってテレパシーで操作したとしか思えない転機が重なり、3月20日ごろからは急に「塾長になるかも」と状況が変化した。そして4月20日の塾内の会議で私の塾長が内定した。その帰宅の途、森さんの訃報を純さんからのメールで知った。私の塾長が決まる5日前に静かに永遠の眠りにつかれたとのこと。間に合わなかった..


 むかえたゴールデンウィーク。緊急事態宣言の中、迷惑を顧みずに玲治さんに連絡したところ、是非お立ち寄りくださいと快諾くださったので、森さんのご自宅に妻と伺い、森ご夫妻の位牌にご挨拶をさせていただいた。そのとき、「伊藤先生から手紙をいただいたよ」と喜んだ森さんが玲治さんに私からの手紙を手渡されたことを知った。やはり森さんのテレパシーだ。塾長はなりたくてなるものではなく、やるべきことがあるから就くもの。これからが勝負。天国の森さんの期待に応えなければならない。そして太郎さんにもがんばってもらいたい。天国の森さんからのテレパシーに期待しよう。


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