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東工大と慶應を繋ぎ世界を変えるスタートアップを生み出す

辻本将晴さん

東京工業大学環境・社会理工学院 イノベーション科学系・技術経営専門職学位課程 教授(系・課程主任)

研究・産学連携本部 副本部長(起業活動支援担当)

イノベーションデザイン機構 機構長

Greater Tokyo Innovation Ecosystem (GTIE) プログラム代表

メンター三田会 会員


「面白いこと」に熱中した高校・大学時代

高校時代はかなり激しく、受験体制の高校の在り方に疑問を感じていました。私のいた高校では何十年か振りとなる生徒会を立ち上げて、生徒会長になって自分で仲間を集めていろいろ活動してみたりしました。今思えば、明確なビジョンが足りなかったのかもしれませんが、新しいことを毎日できて、それはそれで楽しかったと思います。


大学受験は一度浪人して、受験勉強に身が入らないため高卒で働こうかとも思っていました。しかし、予備校で受けていた小論文の授業が面白くて熱中しました。そこで親には申し訳ないことをしたのですが、小論文が科目にある学校ばかりを探して受けました。だいたい全て受かったのですが、その中でも当時SFCを作られた加藤寛教授の話を聞いて、面白そうだなと思いSFCに進みました。


大学では、やってみないとわからないから面白そうなものには全て出てみようとしました。結果的に、四つものゼミに通って、四つの卒業論文を書きました。全て面白かったのですが、中でも計量社会学が好きで、社会階層の移動障壁などの研究をしていました。しかし、当時お世話になっていた富永健一教授が定年でご退職されるとのことで、大学院に進学する際には経営戦略論と意思決定論の二つの研究室に参加しました。割と大変でしたが、面白いと感じたものは全てやってみようと思っていました。



教授・同級生から「ベンチャー」を学ぶ

修士では意思決定論の印南教授と経営戦略論の榊原教授の所に進みました。印南先生のところは意思決定とベンチャーの研究をする研究会で、岐阜県のソフトピアとベンチャーについて共同研究していました。また、榊原先生の方では、同級生の田中祐介くんの繋がりでSAPと共同研究をしていました。田中くんは電脳隊という会社を設立して売却した人です。そういうすごい人がいたので、当時から「ベンチャー経営者ってすごいなぁ」と思っていたのですが、自分はそこまで有能ではないなとも感じていました。

そこから、三和銀行系のシンクタンクを経て、より強い専門性を求めて博士に進みました。当時は田中くんに声をかけてもらって、田中くんが立ち上げたフラクタルコミュニケーションズという会社で働いていました。私がピュアな研究者ではないというところは、このようなバックグラウンドから来ているのかなとも思います。



エコシステムという概念を提起

博士課程では、お世話になった榊原先生に影響を受けて、イノベーション論を専門にしました。当時技術経営という分野ができていたので、東大の技術経営、芝浦工業大学の技術経営に移っていき、その後法政大学のビジネススクールで准教授を勤めました。


法政大学では、経営戦略論を担当していました。私の専門領域は経営戦略論の中のイノベーション論で、その中でもプラットフォームやエコシステムによるイノベーションに焦点を絞りました。絞った経緯としては、当時フランステレコムという会社がダーウィンというグローバルリサーチプロジェクトを実施していて、私も参加していたことがきっかけになっています。そこで、FeliCaという現在Suicaなどに導入されている技術規格があって、面白いなと思いフランステレコムに紹介したところ、予想以上に反響がありました。そのときにエコシステムという概念で研究して高い評価を受け、エコシステム、プラットフォーム領域に専門を絞りました。


エコシステム研究を進めて、それなりに引用される論文を書けるようになりました。そして、東工大のMOTに移籍してエコシステムの研究を進めていくうちに、エコシステム研究のレビュー論文で概念提起を行ったところ、その論文が世界全体の社会科学全体の中でトップ1%のサイテーションがなされるなど評価されています。


実は以前からアカデミックアントレプレナーについての研究も並行していました。エコシステムはそもそもスタートアップと大きな関わりがあるし、私も以前スタートアップに参加していたりして、もともとアントレプレナーに興味はありましたが、研究の中心には据えていませんでした。どちらかというと、技術セントリックな研究を中心にしていました。



GTIEで、学問と実務を横断

東工大イノベーションデザイン機構(IdP)とGTIEを立ち上げたきっかけは、いくつかあります。私が現在いる技術経営(MOT)は、東工大のビジネススクールのような場所で、東工大がスタートアップ支援に注力しようとしているところで、私が代表となって国プロに応募する、という流れになったのがきっかけのひとつです。そういう意味では、自分の興味と大学の方針が一致したとも言えるかもしれません。


自分が研究しているエコシステムを社会実装もしたいという気持ちがあったことも、GTIE立ち上げに取り組んだきっかけのひとつです。自分が今まで研究してきたことを、理論だけではなく実際の社会に組み入れたいと思っています。その意味ではGTIEは私にとっては、少し変わっていますが、スタートアップだと言えると思います。


また、一面ではGTIEは私の研究の一環とも言えます。”Transdisciplinary” という考え方があります。これは課題を解決するために学術と実務の世界を超越して、両方の知見を総動員するという研究スタイルです。MOTでは、社会人学生の皆さんの直面している現実の課題に対して、学術的な理論を組み合わせて解決を試みる、論理的に分析するというスキルを身につけることに意味があると考えています。GTIEも同様に課題を解決するために学術と実務の知識を総動員していると言えます。”Transdisciplinary”なアプローチで研究成果を出すのは難しいですが、何とか研究としても成果につなげていきたいと思っています。



世界を変える大学スタートアップを生み出す枠組みを作る

GTIEのビジョンは「世界を変える大学発スタートアップを育てる」です。世界を変えるというとすごくグローバルで大きな話に聞こえると思うのですが、私が言っている「世界」というのは「自分にとっての世界」なので、「自分の地元で移動困難な方がいて、その方のために何かできないか」と思ってスタートアップを作ったり、「不登校」を何とかしようとしてNPOを作ったりする活動も、私にとっては「世界を変える」だと思います。要は志と野心ですね。


だから、ディープテックとかってよく言われるのですが、私の中ではそれだけではなくて、世界を変えようと考える意志を持っている方々全員が大事だと思っています。その中でも自分で何とかしちゃう人、結構そうではない人もいると思っていて、自分だけでは大変な人たちに共感して一緒に動く人たちもいるといいかなと。メンター三田会もそういう集まりだと思うんですけど、私の場合は大学を超えて、国境を超えて、地域を超えて世界を変えることにチャレンジする方々を助ける取り組みを行いたいと考えています。


その中だと、GTIEというのはまだ過程だと思っています。Greater Tokyoエリアで活動していますが、全国拠点が連携して動くともっといいし、更にはグローバルな接続でも動こうと思っています。結果的には、プレイヤーを中心に全体が繋がって巨大な「世界規模のメンター三田会のようなもの」ができればいいなと考えています。


GTIEは国のプロジェクトで2025年でプロジェクトとしては終わってしまいます。しかしプロジェクト内では私が社会に必要だと考える機能を提案しているため、皆さんが必要だと思ってくれたら維持したいなと思っています。必要とされた機能は自律運営的に機能させたいと思っています。



大学の内と外の架け橋に

新しく東工大イノベーションデザイン機構を作ったり、GTIEを立ち上げて運営したりして強く感じているのですが、僕はあまり実務能力がなくて、、(笑)メンター三田会の他の皆さんのように伴走支援するようなことはできないかもしれません。だから、それ以外に何ができるのかな、と考えた時、大学の中と外を繋ぐ、ということはできるかもしれないなと思いました。


東工大の一人として、東工大の中のテクノロジーとか先生と人を繋ぐこともできますし、GTIE経由でも繋げることができると思います。また、これから東工大の先生として新しいスクールを作ろう、新しいキャンパスを作ろうともしていて、そのようなつながり方でメンター三田会と関われたらなと思っています。



慶應義塾とメンター三田会には大きなポテンシャルがある

メンター三田会は本当に素晴らしい方々がいらっしゃいますし、今行っている支援も素晴らしいなと思います。ただ、工夫の余地は残っていると思いますし、私が今やっていることとぜひリンクできればな、とも思っています。


慶應スタートアップも進んでいるなと感じています。ただ、あれだけ大きな大学なのに、まだキャンパス間の連携ができきっていないようにも思えます。慶應義塾はまだその大きなポテンシャルを活かしきれていないかもしれません。是非、東工大とも何か共同でできればとも思っています。



インタビュー担当:KBC17期 高須裕大 KBC18期 犬伏俊輔

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