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自分自身がやりたいことを自覚しているか

久米雅人さん

メンター三田会 会員




経歴

慶應義塾大学法学部政治学科卒業。2006年に新卒で株式会社アサツーディ・ケイ(現ADKホールディングス)に入社し、2011年まで5年勤務した後退職。その後Google合同会社に入社。2020年まで勤務した後、現在はBeatrust株式会社立ち上げに至る。



深掘りをすることに集中した学生時代

大学時代は自分が楽しいと思ったことを深掘りすることに集中していました。この「深掘りをする」という経験は起業をする上でも役立ちました。


この仮説が合っているかはわからないのですが、人の経験や知識って縦軸のものと横軸のものがあると思います。


例えば、いろんなところに行っていろんな人との人脈を紡ぐのは自分自身の「横幅」を広げるにはすごく大事ですけど、それだけだと「知り合いが増えただけ」になってしまわないか、ということも思っていました。つまり、経験はいろいろしているのだけれど、「縦軸」=自分がそれをどういうことだと理解しているのか、を深掘りできていないことって、若い頃は結構あったと思っています。


僕の場合は「横軸」でなく「縦軸」の知識ばっかりな頭でっかちの方だったと思っていて、歴史的に残っている名作文学とかいい音楽とかと言われるものに関しては、かなり深掘って聞いていました。幅広くいろいろな人と交流したり、人脈を広げたりといったことは学生時代ほとんどしていなかったのですが、逆に自分ひとりでいろんなものに触れて、考える習慣があったことはその後の起業や社会に出た時にすごく役立ったなと思っています。


具体的に言うと、海外で仕事をした時に、ある国の同僚から社会問題について聞かれた時に自分で色々なことを深掘りして学んでいたことで国の歴史や社会情勢についての見解を自分なりの意見で答えることができるようになっていて「お、こいつは話せるな。」と思ってもらって、知り合って初期のコミュニケーションを取るのに役立ちました。


作曲から演奏、集客まで全て行ったバンド活動

大学時代は自分でバンドを組んでいました。バンドサークルに入らずに自分達で作曲して集客して演奏してたんですが、これってプチ経営者みたいだなと社会人になってみて思い返すことがあります。プロダクト(曲)を作ることもそうだしマーケティング(チラシ作成やチケット販売)とかもそうだし、出演費用(売上)の帳尻を合わせるみたいなことも、実はあれって起業と似ていたんだなと思っています。


一方で、当時は曲を作ることだけに集中していて、あんまりお客さんを呼ぶことを考えていなかったりとか、お客さんは呼んだのだけど単発で盛り上がって終わりみたいな感じで学びがあったなと思っています。


大学時代に、少人数のグループを作り上げて、自分達で創作活動をして、それを世に出すことでお金をもらうということをしていたのは、巡り巡って結構いい経験になったと思います。その時を振り返って反省していることは、「いいものを作っていればいつか誰かが気づいてくれる」と思っていたことで、それだけでは全然ダメなんだということに気づけました。あの時もっとやらなければいけなかったことは、自分達の曲のアピールを知らない人に向けてしたり、自分達の曲をもっとお客さんに聞いてもらうことだったと思います。


大学時代のライブでの1枚。Mr.Childrenも出演していた渋谷のLa・mamaというライブハウスでも演奏していました。



バント活動がアサツーディ・ケイ(現ADKホールディングス)との出会いにつながる

創作活動とかアートが学生時代に好きだったのですが、できれば自分の感性やコミュニケーションが活きるような業界なり会社がいいと思っていました。


当時全然知識がなかったのですが、いろんな業界を見る中で、広告会社という、プロモーションを通してものを売れるようにしていく仕事に魅力を感じました。クリエイティビティーとの掛け合わせで「広告」というものを創り上げていく点が、自分がやっていた創作活動に通づると思ったからです。そのような経緯もあってアサツーディ・ケイへの入社につながりました。


アサツーディ・ケイでの仕事

いろいろな雑誌の広告を、顧客から受注して雑誌に掲載することをしていました。毎日のように出版社に行って、広告掲載の交渉をしたりとか、あとは雑誌というメディアを使ってイベントと掛け合わせたりデジタルと掛け合わせたりして、お客さんと「こういうことをしませんか?」という交渉をしたりしていました。


大学時代に本をたくさん読んでいて、出版社の方も本好きが多かったのでかなり会話も盛り上がって、出版社の方に可愛がってもらったりしました。


5年間はそういう雑誌の仕事をして、そのあとは雑誌広告の花形である、化粧品やファッションブランドの広告営業チームに配属になりました。基本的に広告会社では営業の方がお客さんから広告の依頼と予算についての話を受けた後に、広告の打ち出し方を提案するために、雑誌の場合であれば出版社を担当している広告会社社員が出版社と交渉しに行く仕組みになっています。それを私が所属したチームでは、雑誌に詳しい人が営業もやった方が効率的だということで、もともと出版社担当であった私が営業も兼ねるチームを組成しました。



時代の流れに後押しされ、転職活動へ

一方で、当時(2009年から2010年)は、iPhoneがでて、若い人でもスマホで大きく起業で成功できるエコシステムがだんだん出来上がっていました。僕の周りも、結構スマホを活用したビジネスで起業する人が増えていて、僕自身も音楽好きなのもあってインターネットの破壊的なところが非常に面白いなって思っていたんです。


また、アサツーディ・ケイではたくさんいい経験をさせてもらったこともあり、新しいライフスタイルを模索するようになりました。それに加えて当時プライベートで大きな変化もあり「やりたいことをやらずに我慢して仕事をしていく、というのは自分も不幸になるし、周りも不幸になってしまう」と思ったんです。そんなこともあり、忙しい合間を縫って転職活動を始めました。


広告代理店で通信会社のイベントの仕事



前職の経験が活きたGoogle入社

Googleに入れたのはすごくラッキーだなと思っていて、僕一度Googleの面接に落ちているんですよ。「お祈りメール」もきていたんですけど、面接官との相性もあるし、他にもポジションはあったから、もう一回受けさせてくれってお願いしました。


改めて面接の機会をいただいたのですが、そこではアサツーディ・ケイで経験したことがすごく生きたんです。当時のGoogleは、広告の売上がほとんどの会社だったのですが、中小企業向けのデジタル広告がメインでした。しかし、日本でも徐々に大手企業もデジタル広告をやるようになってきて、Googleとしてもそこを開拓していこうとなった時に、社内にいわゆるマスメディアと言われる新聞、ラジオ、テレビなどの広告に携わったことがある人が多くなく、僕みたいにそれを経験したことがあって、かつ、デジタルに興味がある人がGoogleとしては割とフィットしたんです。そうして色々転じて、入社できたというのが経緯ですね。


ニューヨーク出張でブルックリン橋とマンハッタンを背景に。



視野が広がったGoogle時代、そして起業へ

Googleでは15カ国以上に出張とかをさせてもらって、日本に住みたいフランス人、コミュニケーション力がすごく高い韓国人、デザイン会社の社長を辞めて会社員になったブラジル人など、色んな人に出会えました。Googleでの経験はとても刺激的で、すごく楽しかったです。


ただ、このような恵まれた環境にいて、「自分がいる環境によって、発揮できる能力も変わるはずなのに、恵まれた環境にいてすら、やる気がなかったり、チャレンジをせずに自分ではうまくいかないとか思ってしまっているケースって世の中にたくさんあるのではないか」と考えたのです。


自分は、転職をしてみたことで「あ、意外とこんなふうに人生って変わるんだ。」と思えたけれども、僕が当時感じたことと同じことを感じている人たちが、他にもたくさんいるのではないかと考えました。ただ、Googleにいつづけていても、そうした環境自体を変えることは難しいなと思いました。だからこそ、自分が感じたこと・こうなったらいいのにな、と思うことをビジネスとして形にできないかな、と思ったのが起業の経緯ですね。


若い年齢で起業していた人たちも周りにたくさんいたんですけど、僕が起業に踏み切れなかった理由は、思いはあったけれども「じゃあ実際に何をやる?」となった時に、どういうビジネスをするべきかが決められなくて、それがなければ起業するべきではないのではないか、と思っていたからでした。起業というのはあくまでも一つの手段で、会社に残ってやる、副業としてやる、ボランティアとしてやる、などいろんな選択肢がある中で「今やりたいことを実現するときに、自分が一番うまく自由にやれる、早くやれる手段」が起業だったのです。



起業の当初の試行錯誤

当時はもちろんビジネスアイディアは決まっておらず、2018年ごろから試行錯誤していました。その時ブロックチェーンのアイディアを色々試してみたんですが、商用で使うにはまだ早いと判断し、とにかくその後さまざまなアイディアを考え、スライドにまとめるということを繰り返していました。


そして最終的に「やりたいこと」として出てきたのが、どんな会社にいても、どんな業種の人でも、自分がやりたいと思ったことをやれたり、自分がその場所で頑張ったら評価を受けられるような「仕組みづくり」でした。


大企業の中にいても100%の自分を表現できていない人、恵まれてる環境だけど力が発揮できていない人などを可視化するソリューションを作ったらいいのではないかと思ったのが始まりです。半年から1年くらいかけて今のアイディアに行き着きました。それがBeatrustの人材情報を可視化して協業・共創を活性化する、多様化したチームのためのプラットフォームです。



起業してからの心境の変化

起業当初は、大企業をやめていきなり起業するということに、恐怖を感じていました。失敗することに対する恥ずかしさもあり、周りに助けてもらう事へのためらいなどが残っていたのだと思います。


今となっては、起業してみてむしろ逆のイメージが生まれました。起業当初は「何もない」からこそ周りからの認知が大切であるし、伝え方一つで大きくイメージも変わります。成功するためには、方向性を間違えないようにしながら、どんな手段でも泥臭くトライし続けることが重要だと実感するようになりました。


「キラキラしていて簡単にみんなうまくいってそうに見えているなもの」だった起業のイメージも、いざ自分がやってみることで、限られた時間で仲間やお金を集める大変さや、既に起業してている人への本当の意味でのリスペクトが生まれました。


今はやっと、自分の実現したいことの素地が揃ったと考えています。今後はそれを実現させるために、これまでと変わらず軸をブラさずやっていきたいと思っています



メンター三田会は常に教え合いが起きている場所

メンター三田会はコミュニティとしてとても魅力的な場所だと思っています。


最近、忙しい中でもボランティアの活動をしていて、地域のコミュニティに貢献するということをしています。何故忙しい中でそんなことをやっているのか、と聞かれることもあるのですが、実はとてもメリットがあって、自分が普段所属していないコミュニティに行くと、自分が知らないことを知っている人がいるんです。


メンター三田会の中には、例えば起業に関してはたくさんの先輩方がいらっしゃいます。みなさん優しく見守ってくれてるし、学ぶことがとても多いです。


どうしても自分が知っているコミュニティだけに行くと、そのコミュニティの中で学べる限界があります。たまにメンター三田会のような場所に行くと、新しい人がいて、新しい事業に出会え、自分自身の刺激につながります。このような利害関係なく教え合える場所があることの重要性は、社会人になってから気づきました。何歳になっても学ぶことを忘れないために、いろいろなコミュニティに所属しておくことが大切だと思っています。



自分自身がやりたいことを自覚しているか

起業に関わらず、「私は今、”なぜ”これをやっているのか」という問いに対して、抽象的でもいいから自分なりの回答が言えることが大事だと思っています。自分が「なにをやっているか」を答えられる人はいても、「なぜ」それをしてるんですかと問われたら、答えられる人は少ないです。自分の興味関心のためでも、家族のためでも、どんな理由でも、自分がなんのためにそれをやっているのかを言えることは、人生の幸せ度を上げる重要なことだと思っています。学生でも社会人でも起業してても、どんな人に対しても言えることではないでしょうか。


私自身、アサツーディ・ケイにいた時より、Googleにいた時より、今の方がそれが言える自信があります。正しいかどうかは関係なく、何をしたいか不細工な答えでも言える自覚を持っていることが大切だと思っています。



最近著名な写真家の方にチームメンバー全員の写真を撮影してもらいました。



インタビュー担当:KBC17期 渡邊光祐 高須裕大 KBC18期 犬伏俊輔

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